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ポール・ラッシュ記念館 日本アメリカンフットボールの殿堂

日本アメリカンフットボールの殿堂

■日本アメリカンフットボールの殿堂

アメリカンフットボールの父、ポール・ラッシュ博士ゆかりの地フットボールの普及に特に貢献された24名を顕彰
1996年3月に日本列島のほぼ中心に位置する「アメリカンフットボールの父、ポール・ラッシュ博士」ゆかりの地である山梨県・清里に日本アメリカンフットボールの殿堂が造られました。館内には、殿堂入り顕彰者の顕彰額をはじめ、日本に競技を紹介したポール・ラッシュ博士を中心とした日本のアメリカンフットボール創世期の出来事から、発達史、現在の振興の様子、各種大会のプログラムやポスター関連書籍など貴重な資料を展示しております。また、殿堂の建設募金に協力した全国の学生、社会人チーム、選手、役員、またアメリカンフットボール関係者約2万人の名を記した名板もございます。
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毎年1月に行われるのが、日本のアメリカンフットボールの頂点を決定する「ライスボウル」。 その戦いの中で最も輝いたプレイヤーに与えられる最高の栄誉が、「ポール・ラッシュ杯」です。日本にフットボールが誕生して50年目の1984年、ライスボウルは東西大学選抜対抗戦から日本選手権へと移行し、それを機に試合で最も活躍したプレイヤーに対して「日本アメリカンフットボールの父、ポール・ラッシュ」の名を冠した最優秀選手賞(MVP賞)を贈り、その健闘を讃えることになりました。館内にはこの「ポール・ラッシュ杯」も展示されております。
日本アメリカンフットボールの殿堂が、少しでも多くの方々に、アメリカンフットボールというスポーツを知り、また親しんでいただくきっかけになれば幸いです。
公益財団法人キープ協会は、社団法人日本アメリカンフットボール協会より施設の運営管理を委託されております。

■アメリカンフットボールの殿堂顕彰者

ポール・ラッシュ以外の殿堂顕彰者24名
◆第一次顕彰者
松本 瀧蔵 氏
(まつもと たきぞう)
(1901~1958)
1930年ハーバード大学留学、その後帰国し明治大学教授。1934年東京学生アメリカンフットボール連盟結成にあたり、理事長のポール・ラッシュ氏を助け書記長に就任。審判としても活躍し、日本で最初の試合に先立つ10月25日、明治大-在日ハワイ二世軍の主審を務める。1942年、帰国したポール・ラッシュ氏の後を継ぎ、第2代の関東學生連盟の理事長に就任。1946年衆議院議員になり、国民協同党政調会長、片山内閣の外務政務次官、鳩山内閣の内閣官房副長官、岸内閣の外務政務次官を歴任。
小川 徳治 氏
(おがわ とくじ
(1905~2001)
1934年、立教大学教授として立教大学アメリカンフットボール部部長に就任。同時にポール・ラッシュ氏とともに明治大学のアメリカンフットボール部の創部の支援。同年の東京学生アメリカンフットボール連盟結成時に理事に就任。連盟創設期の防具の国産化を推進するとともに連盟の総務担当として競技場の交渉と手配、連盟の経理を担当し、実務的な連盟活動の推進者として貢献。同時に立教大学アメリカンフットボール部を育成。戦後、1963年から2年間、1969年から2年間の2回の日本協会理事長。
服部 慎吾 氏
(はっとり しんご)
(1913~1995)
立教大学予科よりフットボールを始め、センターとして活躍。1939年立教大学卒業後、1940年応召、札幌の歩兵部隊に従軍。終戦後、関東地区のフットボールの復興に戦前の仲間とともに貢献。チームの再興、グラウンドの手配、防具の準備など、戦後再来日したポール・ラッシュ氏とともに運営の中心となる。1948年、日本フットボール協会の再建に努力し、戦後初代の理事長に就任。以降、理事長として5年間、フットボールの復興に貢献。戦前、戦後の日本のアメリカンフットボールの記録を整理。
安藤 信和 氏
(あんどう のぶかず)
(1920~現在)
1937年、立教大学予科入学後直ちにアメリカンフットボール部に入部。ラインとして活躍し1942年卒業。太平洋戦争に従軍し戦後シベリアで4年の抑留生活。1952年関東大学連盟理事を経て1954年から審判活動に従事。1960年に関東地区審判組織の部長となり、1964年審判協会設立とともに初代の理事長。この間、ボウルゲームの主審を数多く務めるとともに、審判組織の充実と公式規則の制定に貢献。1979年から12年間、日本協会理事長に就任。日本協会顧問。
羽間 平安 氏
(はざま へいあん)
(1927~現在)
関西大学アメリカンフットボール部のQBとして1948年1月の第2回甲子園ボウルで大学日本一となる。1949年1月の甲子園ボウルでも活躍。卒業後、関西地区で審判として活動を開始するとともに連盟組織の確立と審判の実務を定めたメカニックの確立に貢献。リーグ戦の審判をはじめ通算32回の甲子園ボウルの審判を担当。うち1955年から1983年まで29回の主審を務める。この間、ルールの解釈、審判の指導、競技の普及に貢献する。1998年より関西協会会長。日本協会顧問。
米田 満  氏
(よねだ みつる)
(1928~現在)
関西学院大学で1949年から2年間、QBとして甲子園ボウルに出場し、2年連続大学日本一となる。卒業後、関西学院大学のコーチとして4回、監督として11回、総監督として10回の合計25回の甲子園ボウル出場を果たすとともに、中学、高校、大学の10年一貫教育のシステムを確立。大学のリーグ33連覇、高校の214連勝、中学の52回連続甲子園ボウル出場等の業績を挙げた。また、東京大学アメリカンフットボール部の創部を支援するなど、他のチームの指導にも貢献。
古川 明  氏
(ふるかわ あきら)
(1931~現在)
池田中学時代にフットボールを始める。関西学院大学で1949年から4年間、ガードとして甲子園ボウルに出場。第4回、第5回甲子園ボウルで2年連続、大学日本一となる。卒業後、米デンバー大学に留学し本場の知識を吸収。帰国後、1956年から関西連盟の活動に携わる。同時にNCAAとの窓口として技術交流と公式規則の適用を推進。1970年より2000年まで現学生連盟専務理事として関西地区のフットボールの普及に貢献。1994年より4年間、日本協会理事長。1995年関西協会理事長。日本協会顧問。
篠竹 幹夫 氏
(しのたけ みきお)
(1932~2006)
高校時代ラグビー選手として活躍後、日本大学アメリカンフットボール部に入部。在学中に負傷し闘病生活を続けながら1955年日本大学初優勝の原動力となる。卒業後、コーチに就任。日本大学助手補佐を皮切りに1977年教授に就任し、46年間教育者として貢献。1959年日本大学アメリカンフットボール部監督に就任し、2003年3月までの44年間の監督在任期間中、290勝39敗4分け。関東大学リーグ優勝25回、甲子園ボウル優勝20回、日本選手権4回の優勝を果たす。
◆第二次顕彰者
松葉 徳三郎 氏
(まつば とくさぶろう)
(1903~1981)
大阪YMCA体育主事として1932年ロサンジェルス五輪視察時に現地の南カリフォルニア大学とスタンフォード大学の体育施設を見学、フットボール競技に接する。帰国後、1934年夏に母校関西大学でチーム組織化の活動を開始、1935年に関西初の部として創部、1937年日本米式蹴球協会関西支部長、1941年関西鎧球連盟理事長に就任。戦後、関西地区のフットボールの復興に中心メンバーとして参画。1946年関西大学米式蹴球連盟を再建、理事長に就任し、戦後の関西地区のフットボールの活動再開に貢献。
保科 進 氏
(ほしな すすむ)
(1906~2000)
1935年ハワイより来日、法政大学創部に貢献し初代監督兼プレーヤーとして活躍。1938年関東學生米式蹴球連盟理事に就任、連盟活動、審判活動に貢献。法政大学監督を計20年、成城大学コーチを2年、明治学院大学監督31年・総監督4年の計57年間、各大学で技術指導。この間、米国の理論をいち早く取り入れると共に1964年度ライスボウル東軍監督をはじめ多くの選抜チームの監督、コーチを務める。1955年から法政大学体育講師として一般学生にフットボール実技で競技の普及に努める。91歳までグラウンドで指揮を執る。
井上 素行 氏
(いのうえ もとゆき)
(1915頃 - 1987)
ハワイ出身。早稲田大学米式蹴球部の設立に寄与し、1934年東京學生米式蹴球連盟設立に学生委員として参加。1934年日本初のフットボール公式試合(学生選抜-横浜YACA)に出場。その後もオールスターのプレーヤーとして活躍し1936年初の米国遠征の全日本選抜チームの選手として渡米。卒業後、審判員として貢献。戦後、フットボールの復興に中核メンバーとして参画、1946年関東フットボール・リーグ理事長に就任。1952年日本フットボール協会競技制定委員として公式フットボール競技規則書の発行に加わる。
吉川 太逸 氏
(よしかわ たいつ)
(1920~現在)
1940年滋賀県師範学校卒業後、40年間、小、中、高の教師として教育一筋に貢献。青少年の体力向上、選手の育成、地域における各競技の普及、振興、後進の育成に努める。戦後、タッチフットボール、ハンドボール等のチームの組織化と県、市における協会、連盟を設立。1948年滋賀県タッチフットボール連盟を設立し1951年甲子園ボウルでタッチフットボール競技の実施に貢献、同年長浜ボウルを創設。1975年、社会人チーム湖北ファイニーズの会長として育成に寄与。アメリカンフットボールのユース、ジュニアの育成の先覚者として貢献。
金澤 好夫 氏
(かなざわ よしお)
(1935~現在)
明治大学在学中、第11回ライスボウルに出場。卒業後、専修大学コーチ、拓殖大学初代監督に就任。この間、関東大学連盟、日本アメリカンフットボール協会の理事を務めると共に、社会人団体の基盤づくりに貢献。1980年東日本社会人協会を設立し理事長に就任、社会人王座決定戦を創設。1985年日本社会人アメリカンフットボール協会初代理事長に就任後、1996年Xリーグを設立。第1回、第2回のワールドカップで日本チームを優勝に導く。2003年 - 2005年日本アメリカンフットボール協会理事長。2003年国際アメリカンフットボール連盟上席副会長に就任。
◆第三次顕彰者
加納 克亮 氏
(かのう・かつすけ)
(1903~1971)
朝日新聞運動部記者/東京学生連盟理事/関東協会理事長 立教大学在学中はラグビー部の主将。朝日新聞入社後、運動部記者としてアメリカン フットボール担当。東京学生米式蹴球連盟設立に理事として参加。記者として紙面を 通じ競技の紹介を幅広く実施、アメリカンフットボールがスポーツ界で一定の地位を 占めることに貢献。朝日新聞社の 1935年の全米選抜チーム招請と翌年の全日本選抜 チームの米国遠征を推進。1946年、リーグ復興のための関東連盟創立委員会委員長に 就任。以降 3年間、関東連盟理事長。没後の 1972年、永年の功績により、ライスボ ウル東西学生選抜戦に加納杯が制定される。
花岡 惇 氏
(はなおか・じゅん)
(1912~没年不詳)
明治大学監督/東京学生連盟役員。ハワイ生まれ日系 2 世。明治大学入学後、部創設の中心的役割。1934年、我国最初の 公式試合に出場し、その後もオールスター級の活躍。卒業後、連盟役員、監督として 継続的に活動。1940年代、同志社、関西大学を指導。1947年から 1962年まで 16年 間、監督として明治大学を率いる。同時に 1949年よりライスボウル東西学生選抜戦 の監督として 10 数年活動する。米国からの最新情報と戦術を我国に広く紹介すると ともに、ライスボウルで交流した各大学コーチに伝え、フットボールの本質を広める ことに貢献する。
三隅 珠一 氏
(みすみ・しゅいち)
(1924~1975)
日本タッチフットボール連盟/日本協会。1945年、旧制大阪府立池田中学校に体育教官として着任。タッチフットボール部顧問 として、チーム育成に尽力。同年、日本最初の公式タッチフットボール試合を開催。 甲子園ボウルで、東西タッチフットボール王座決定戦を実施。1954年、全国高校タッ チフットボール大会開始、1970年、全国高校アメリカンフットボール大会開始と高校 フットボールの組織づくり、公式規則書の制定、翻訳等の作業実施に尽力され、日本 の高校フットボールの普及・発展に貢献。永年の功績により、クリスマスボウル全国 高校選手権の最優秀バックスに三隅杯が制定される。
樋口 廣太郎 氏
(ひぐち・ひろたろう)
(1926~2012)
アサヒビール株式会社名誉顧問/日本協会初代コミッショナー
1986年、アサヒビール株式会社代表取締役社長に就任。1988年以降、社会人クラ ブチーム「シルバースター」を後援し、多年に亘りチームをスポンサード。財界人 として、日本フットボール界に様々な支援や普及貢献活動を行い、アメリカンフッ トボールの文化を、広く一般社会に発信してその価値を広報した。その後、日本ア メリカンフットボール協会の初代コミッショナーに就任。協会活性化に取り組み、 アメリカンフットボールの普及振興に大いなる支えとなり、貢献した。2012年、 旭日大綬賞受章。
※日本アメリカンフットボール協会の公益社団法人化に伴い、現在コミッショナー 制は廃止
藤村 重美 氏
(ふじむら・しげみ)
(1931~2007)
市立西宮高等学校監督/兵庫県高等学校体育連盟初代理事長/京都大学 監督 京都大学在学中は選手として活躍。卒業後、市立西宮高等学校の教壇に立ち、タッ チフットボール部を創部指導。創部 5年目の 1962年、関西学院高等部の連勝記録(204 連勝)を阻み、その後、2年連続全国制覇を果たす。その傍ら、1958年、兵 庫県高等学校体育連盟にアメリカンフットボール競技が加盟するとともに同連盟 の初代委員長として組織の礎を築く。高校フットボールがタッチフットボールから アメリカンフットボールへと移行する過程で、日本の高校フットボールの牽引者と して普及に貢献。また、1965年京都大学監督に就任、京大フットボールのバックボーンを築いた。
武田 建 氏
(たけだ・けん)
(1932~現在)
関西学院大学監督/関西学院高等部監督 関西学院高等部よりフットボールを始め、1950年より 4年間 QB として甲子園ボウ ルに出場、優勝 2 回。卒業後、北米留学で得た最新戦術を日本に紹介し、日本フッ トボールの近代化及び発展に貢献。1966年から関西学院大学のヘッドコーチ・監 督として 11年間指導し、その間に 7 回の甲子園ボウル優勝、5 連覇に導く。1980年からは高等部監督として、6 回全国制覇を果たした。1970年代より本場フットボ ールの TV 解説や入門書刊行により、一般への普及、競技者・ファンの拡大に繋げ た。心理学者としてもチーム運営・指導方針を理論的に解き明かし、多数の書籍を 出版、日本スポーツ界の健全な発展に寄与した。
笹田 英次 氏
(ささだ・えいじ)
(1934~現在)
国際アメリカンフットボール連盟初代会長/日本フラッグフットボール 連盟理事長。都立西高等学校でタッチフットボールを始め、日本大学で活躍。1956年、日本ア メリカンフットボール審判協会関東審判部に加入、1960年から運営を担当し、競 技規則の制定、審判員の技術力向上に寄与。米国等海外組織との交流を推進し、1999年、国際アメリカンフットボール連盟設立時に初代会長に就任。同年の第 1 回ワー ルドカップの開催と成功した運営に貢献。その後、日本フラッグフットボール連盟 理事長を務めるなど、小中高、大学、社会人と普及に幅広く活動する。
水田 吉春 氏
(みずた・よしはる)
(1937~2004)
日本審判協会・関東審判部長/日本協会常務理事/日本学生協会理事長/ 関東大学連盟理事長 麻布高等学校でタッチフットボールを始め、立教大学で活躍。1961年に日本アメ リカンフットボール審判協会関東審判部に入部。1972年、同審判部副部長、1976年、同部長に就任。発展する競技活動に対応する審判活動の組織化に貢献。公式規 則の制定、公式規則書の発行を推進する。1991年、関東大学アメリカンフットボ ール連盟理事長に就任。大組織の運営を指揮し、円滑な競技運営を推進するととも に、試合会場の確保、各種講習会の実施等、競技活動、運営に活躍。また日本アメリカンフットボール協会常務理事、日本学生アメリカンフットボール協会理事長として、 全国レベルでの普及に寄与する。
水野 彌一 氏
(みずの・やいち)
(1940~現在)
京都大学監督/第 1 回世界大学選手権・日本代表チーム監督。1959年、防衛大学校に入学しアメリカンフットボール部に入部。1961年、京都大 学入学、ガードとして活躍し、卒業後、コーチ就任。1980年監督就任後、関西学 生リーグ優勝 10 回、甲子園ボウル優勝 6 回(出場 8 回)、ライスボウル優勝 4 回(出 場 6 回)を成し遂げた(2011年勇退)。関西学院大学との対戦は、数々の名勝負を 繰り広げ、アマチュアスポーツのビッグイベントとなり、国立大学全国制覇で全国 的な注目を集め、普及・発展に貢献。また、2001年京都市教育委員に就任、その 後、教育委員長となり、教育行政にも寄与した。2014年、第 1 回世界大学選手権・ 日本代表監督就任(準優勝)。
阿部 敏彰 氏
(あべ・としあき)
(1941~現在)
アサヒビールシルバースター監督/世界選手権・第 1~3 回日本代表チー ム監督。日本大学在学中は選手として活躍し、4年生時、主将として甲子園ボウル 3 連覇に 導く。1970年、社会人クラブチーム「シルバースター」創部、監督就任。1988年、 アサヒビール株式会社とスポンサード契約締結後、1989年、クラブチームとして 初の社会人王座獲得。その後、ライスボウル優勝 3 回、社会人フットボールを代表 するチームに発展させた。1998年、日本代表監督として、ジャパンユーロボウル 快勝、翌年から始まった第 1 回ワールドカップも、2007年第 3 回川崎大会まで、 代表監督として指導・育成に貢献(第 1・2 回:優勝、第 3 回:準優勝)。また、1978年、地域のフットボール普及を目的に横浜アメリカンフットボール協会創設。
棚橋 寛衛門 氏
(たなはし・かんえもん)
(1947~2005)
日本社会人協会理事長。1966年、東海大学入学、アメリカンフットボール部創部メンバーの一人として活 躍。1975年、社会人クラブチーム「シルバーオックス」創部。東日本社会人アメ リカンフットボール協会に所属し、東日本実業団連盟との統一及び西日本社会人連 盟とを統一するために東西社会人の取りまとめ役として尽力し、1985年、日本社 会人アメリカンフットボール協会創設。社会人協会初代メンバー(東日本支部長・ 専務理事)として、トップリーグ「X リーグ」の設立に邁進。2003年、日本社会人 協会第 2 代理事長就任後、活性化のために、国際化や競技レベル向上に尽力し、社 会人フットボールの普及・発展に貢献。

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